天天看點

判官びいき | 同情弱者

作者:天聲人語
判官びいき | 同情弱者

「判官(ほうがん)びいき」とは、「弱い立場の者、薄幸な者に対し、理屈を抜きに同情すること、その気持ち」を意味し、判官とは、歴史上の人物である源義経(みなもとのよしつね)の官職名であり、すなわち「源義経をひいきする」ことに代表される心理のことを言う言葉だ。

該詞的字面意思為“袒護判官”,引申為“對處于弱勢的人或遭遇不幸的人不論是非對錯地表示同情,或指這種心情”,判官是日本曆史人物源義經的官名,是以,這個詞表達的是和“袒護源義經”相類似的一種心理。

判官びいき | 同情弱者

源義経(1159~1189)は、鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)の異母弟で、兄頼朝が平氏打倒の挙兵をした際に大きな戦功を立て、鎌倉幕府成立の功労者となったものの、後に頼朝の怒りを買い、追われる身となり、最後には自刃して果てた人物である。義経の忠実の部下である武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)との逃避行の際のエピソードが、歌舞伎の名高い演目『勧進帳』(かんじんちょう)となったように、義経はさまざまな芝居や戦記物の題材となり、人々はその死を悼むあまり、「義経は死なずにジンギス・ハンになった」という伝説までつくり出した。

源義經(1159~1189)是鐮倉幕府的創始人源賴朝的同父異母弟弟。他曾在其兄賴朝舉兵打敗平氏軍的源平合戰中立下赫赫戰功,可謂開創鐮倉幕府的功臣,但因功高震主被賴朝猜忌,惹來追殺之患,最終自盡身亡。義經和其忠誠部下武藏坊弁慶一起潛逃時的逸聞,被演繹為歌舞伎的經典劇目《勸進帳》,而義經也成為日本戲劇和戰史等各類藝術創作中的熱門主角,由于人們過于愛惜這位英雄,甚至杜撰了“義經沒有死,後成為成吉思汗”的傳說。

判官びいき | 同情弱者

この「判官びいき」という心情は、弱者や敗者への同情を過剰なまでに示す、日本人特有の感情とされている。『平家物語』も栄華を極め滅亡した一族の物語を美しく切なく語ったものだし、歴史上の人物にしても、徳川幕府を打ち立てた徳川家康(とくがわいえやす)よりも、志半ばで非業の死をとげた織田信長(おだのぶなが)のほうが人気がある。また幕末でも、滅びゆく徳川幕府のために活躍した新選組の人気は高い。滅びゆくものに美しさを感じるのは、桜の散りゆく姿を愛でるのに相通じる美意識かもしれない。

這種“袒護判官”的心情,展現了日本人的一種獨特情感,那就是對弱者或是失敗者報以過度的同情。比如《平家物語》,描寫的也是極盡榮華的平家走向消亡的凄美故事。而在曆史人物中,相比建立了德川幕府的德川家康,日本人更喜歡壯志未酬身先死的織田信長。還有幕府末期,幫助走向滅亡的德川幕府鎮壓倒幕勢力的劍客團體新選組也備受世人推崇。以悲為美,或許就是和偏愛櫻花飄零之美相類似的日本人的審美情趣。

判官びいき | 同情弱者

ここで私が連想するのは、京劇の「覇王別姫」の一幕。項羽と虞姫の別れの場面を描いたあの名場面は、滅びゆくものへの哀悼を感じさせ、日本人の「判官びいき」の心情にとても似通っているように思われる。

這讓我聯想到平劇《霸王别姬》中的一幕。項羽和虞姬生離死别的經典橋段,讓人對于這份情感的行将逝去不禁惋惜傷感,我覺得這和日本人“同情弱者”的心境有異曲同工之妙。

【小知識】

◎源平合戰(げんぺいがっせん):也稱“治承•壽永之亂(じしょう・じゅえいのらん)”,指日本平安時代末期,1180年至1185年的6年間,源氏和平氏兩大武士家族集團一系列争奪權力的戰争。

◎武藏坊弁慶:武士道精神的傳統代表人物之一。平安時代末期的僧兵,源義經的家臣,曾在義經逃亡途中一路相随,後舍命護主,因寡不敵衆身中萬箭站立而死,即著名的“立往生(たちおうじょう)”。

「弁慶の立ち往生」比喻“進退維谷”。

例文:弁慶の立ち往生の狀態になった。/陷入進退兩難的局面。

此外,日本諺語中有「内弁慶(うちべんけい)」,指在家裡稱雄在外怯懦的人,俗稱“炕頭王”“窩裡橫”。

例文:うちの子は内弁慶で困ります。/我家的孩子在家是英雄,在外是狗熊,真沒辦法。

◎《勸進帳》:歌舞伎十八番(指江戶時代歌舞伎流派市川宗家作為自己的家藝標明的18種歌舞伎劇目)之一。該劇描寫了源氏滅了平氏之後,取得政權的源賴朝,要除掉對他立下戰戰功的兄弟源義經。義經被迫與家臣弁慶化裝成化緣的僧侶逃走。他們逃到安宅時,被源賴朝的守将所懷疑。沉着、機智的弁慶将通關的證件假作化緣簿(即日語的「勧進帳」),高聲朗讀,消除了守将的懷疑,又用鞭撻義經的辦法,證明義經是他的随從。守将雖有所察覺,但為弁慶的苦衷所感動,終于放走了義經。

來源:人民中國

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作者:福井ゆり子

編輯/翻譯:錢海澎

圖檔來自網絡

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