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佐藤二朗出道20周年,回顧過去

作者:滬江日語

個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお屆けします。実は今年、俳優デビュー20年周年を迎えた佐藤さん。出演作品の思い出を振り返ります。

個性派演員・佐藤二朗為大家講述他在日常生活、工作中所感受到的二朗主義。實際上,今年是佐藤二朗作為演員出道的20周年。值此之際,他回顧了過去演出作品時的回憶。

佐藤二朗出道20周年,回顧過去

いま気づきました。

現在才意識到。

僕、ドラマや映畫に出るようになったのが31歳からなのですが、現在、僕の年齢は51歳。

我是從31歲開始出演電視劇、電影的,現在,我51歲了。

そう。僕、今年、デビュー20周年なのです。

是的。今年是我出道的第20年。

それを記念して、「佐藤二朗全國リサイタルツアー」を敢行したいと思うわけないだろう馬鹿野郎。

為了紀念20周年,我想毅然舉行“佐藤二朗獨奏會全國巡演”...怎麼可能呢,笨蛋。

おっとごめんなさい突如として汚い言葉が。大體、「デビュー」という言葉がこれほど似つかわしくない人もいないでしょうし、「リサイタル」という言葉に至っては意味も分からず雰囲気で使ってしまいましたごめんない。

哎呀對不起,突然冒出了一句髒話。大概,沒有比我還要不适合“出道”一詞的人吧,至于“獨奏會”這個詞,我并不知道它的意思,隻是憑感覺用的,抱歉。

20周年を誰も祝ってくれないので、ちなみに先ほど妻に「お!すごいこと気づいちゃった!俺、今年、俳優20周年だ!」と言ったら「ふーん」と言われました。そもそも當の本人さえ今年も8月になってようやく気づいたんです。7分ほど前にようやく気づいたんです。だからせめて、このコラムで少しだけ、20年を振り返ろうと思います。

因為沒有人來為我慶祝20周年,順便一提,剛才我對妻子說“哦!發現一件很了不起的事!今年是我演員出道的20周年!”,得到的回答是“哦~”。就連我這個當事人也是到今年8月才終于意識到這件事。大約7分鐘之前才想起來。是以我想至少在這個專欄裡,稍微回憶一下這20年。

暑さに弱く寒さに弱いという面倒體質で名を馳せた僕ですから、まず、この20年で一番暑かった作品から。

我是因為怕熱懼冷的麻煩體質而出名的,是以首先,從這20年中最熱的一部作品開始回憶。

それは、映畫「幸福のアリバイ~Picture~」です。撮影は真夏の古い日本家屋で行われました。空調なし。繰り返します。空調なし。そして、設定は、お葬式。喪服。繰り返します。喪服。さらに撮影は日中に行われたのですが、設定は夜なので、窓という窓に暗幕を張り、風通しナッシング。

那就是電影《幸福的不在場證明》。拍攝于盛夏時節,在古舊的日本房屋裡。沒有空調。重複一遍。沒有空調。然後,背景設定是葬禮。穿喪服。重複,是喪服。并且拍攝是在白天進行的,但設定卻是晚上,是以所有窗戶都拉上了黑窗簾,不能通風。

もう暑いなんてもんじゃない。ただでさえ汗っかきの僕は、もはや人というよりはほぼ汗。人が台詞しゃべってるんじゃなくて汗が台詞しゃべってる感じ。どんな感じだ。「役者だけに暑い思いをさせるわけにはいかない!」と颯爽とジャケットを羽織った監督の陣内孝則さんも開始12分後にはジャケットを脫いでおりました。とにかく暑かった。

已經不是熱不熱的事了。原本就汗流浃背的我已經變成了汗人。感覺不是人在說台詞,而是汗在說台詞。這是怎樣的一種感覺啊。“不能隻讓演員體會炎熱難耐的痛苦”說完這句話便帥氣地披上外套的陣内孝則導演也在開拍12分鐘後脫下了外套。總之真的很熱。

次は一番寒かった作品。それは映畫「大洗にも星は降るなり」。

接着回憶一下最冷的作品。那就是電影《星降大洗城》。

撮影は、真冬の大洗海岸。しかし設定は夏。繰り返します。設定は夏。僕の衣裝、アロハに短パン。さらに、いいですか、驚かないでください。なんと…雨ふらし。

這部電影拍攝于寒冬的大洗海岸。但是季節設定是夏天。重複一遍。是夏天。我的服裝是夏威夷襯衫配短褲。更誇張的是…準備好了嗎?請不要被吓到。居然…還有人工降雨。

もうね、死ぬかと思いました。精神的にはほぼ死んでました。やっと撮影が終わり暖まろうと思ったら監督の福田雄一から「二朗さんのヨリがあとワンカットあります!」と言われ、あのですね、ヨリを撮ってもらうのは役者としてはありがたいことなんです。僕なんかヨリを撮ってもらうのに數年掛かったんです。その僕が初めてその時叫びました。「ヨリはいらねえ!」

真是,還以為要死掉了。精神上基本是死了。終于等到拍攝結束,原以為可以暖和一下了,結果福田雄一導演說“二朗還有一個近景鏡頭要拍!”,其實,作為一名演員來說,大家能給我拍近景我覺得十分感激。因為為了獲得拍近景的機會我花費了多年。這樣的我卻第一次當場喊道:“不需要近景!”。

最後に、最も役のハードルが高かった作品。これは2作品挙げさせてください。1つはドラマ「レガッタ」、もう1つはドラマ「夜王」。

最後,來回顧角色演繹難度最高的作品。請讓我列舉兩部作品。一部是電視劇《劃船比賽》,另一部是電視劇《夜王》。

「レガッタ」の撮影當時、僕は37歳。で、その僕の役、大學生。大丈夫ですか?気を失ってませんか?気を失った人のためにもう一度言いますね。37歳の僕の役、大學生。

拍攝《劃船比賽》時,我37歲了。然後,那時的我飾演的角色是,大學生。沒事吧?還清醒嗎?為了因為這句話而昏倒的人我再說一遍哦。37歲的我所飾演的角色是,大學生。

確か、8回浪人して、7回留年して……みたいな設定だったと思います。親泣かせです。てか僕泣かせです。プロデューサー中込卓也の「佐藤二朗に年齢は関係ない」という言葉を今も覚えています。

我記得角色設定大概是,落榜8次,留學7次……讓父母流淚的角色,更準确來說應該是讓我流淚的角色。至今我仍記得中込卓也導演說的那句話“對于佐藤二朗來說,年齡不是問題”。

そして「夜王」。僕の役、ホスト。大丈夫ですか?吐いてませんか?ちょっ、なんでそこまで卑下しなきゃいけないんだ。でも少なくとも俺は吐きそう。あまりの役のハードルの高さを思い出し、吐きそう。

然後是《夜王》。劇裡我的角色是,牛郎。沒事吧?沒吐出來吧?等等,為什麼我非得這麼自卑不可呢。不過至少我是快要吐了。想起角色的演繹難度是如此之高,幾乎要吐了。

佐藤二朗出道20周年,回顧過去

この時はホストの役のために、僕史上、最も髪を長く伸ばしたんです。で、襟足をメークさんにクリンクリンにしてもらったりしたんです。なのに世間様から「あれ、カツラじゃね?」って言われたんです。なんなら妻からも「あぁ、それ地毛だったのか」と言われたんです。ごめん、泣きそう。吐く前に泣きそう。

那個時候我為了牛郎這個角色,留了有生以來最長的頭發。然後,還請化妝師修了一下後頸的頭發。沒想到卻被大家吐槽“咦?這是假發吧?”。這也就算了,連我妻子都說“啊,這原來是你自己的頭發啊”。對不起,我要哭了。吐之前要先哭了。

かように少し振り返っただけでも、本當にいろんな作品や役をやらせてもらいました。まだまだこれからも皆さんを笑わせたり驚かせたり唸らせたりして心動かしたい。デビュー20年以降も、ひとつよろしく。

即使隻是稍微回顧一下,也能體會到我真的出演了很多不同類型的作品與角色。在接下來的時間裡,我也想繼續讓大家開心,驚喜,贊歎、感動。出道20周年過後,也請多多指教。

本内容為滬江日語原創翻譯,嚴禁轉載。

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